2015.01.16 Friday
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皆様こんにちは。
ふと気づくと既に年が明けて13日も経過していてびっくり Σ(・ω・ノ)ノ!
なんなんでしょう、このジェットコースターのように過ぎ行く時間・・・。
さて1月は観劇予定はありませんので、いまのウチに書き残しているヤツ潰して行っちゃいましょーと思っています。
今回観に行ったライブ?は 駒田さんのブログ で告知されていて興味惹かれたのでした。
昨年通ったミス・サイゴンでエンジニア役の彼に惚れこんで以来です。
まだ駒田さんの他の顔を見た事が無かったので、こういう自主公演っぽいのって正に待ち望んでいました。
きっと彼らしさを目一杯観る事が出来るんだろうなあ、と♪
2014年12月29日 15:00〜
【出演】宮川浩・畠中洋・駒田一 /福井小百合(pf)
70年の時空を超えて昭和17年の吉田勘吉(駒田さん)から、2013年の同じ場所に住む同姓同名の吉田勘吉(宮川さん)に手紙を出し、交流が始まり、途中から何故かメールでの交信になるお話。
会場は小さなライブハウスのようなハコで観客100人くらい?
椅子に座ったままマイク付きで話が展開されてゆく。
ライブというより完全にお話仕立てになっている。
音楽劇なので話の切れ目に歌が挟まってくる。
伴奏は福井さんのピアノ1本のみ。確実な鍵盤捌きで安心して聴いていられた。
始めは昭和の雰囲気たっぷりに「ふるさと」「からすの子」などの唱歌から。
しかし、物語中盤に入ると急に展開がノリノリになって様相が変わってくる。
現代の勘吉はミュージカル俳優を目指している設定で、昭和の勘吉のパソコンに資料を添付して送り、昭和の勘吉も大いに気に入るという話の流れの中で、帝劇ミュージカルナンバー盛り沢山というサービスっぷり!
そーですよね!
だってやっぱり帝劇役者なんだもの、十八番待ってますわよ!!!
ラ・マンチャ、レミゼ、サイゴン、ジキルとハイドなど\(^o^)/
なんて、なんて美味しいんだろう(*´▽`*)
こんな間近でいっぱい聞けちゃうだなんて流石に想定してなかったし☆
さわりだけ唄って・・・って曲ばかりではあったけど、「見果てぬ夢」はフルで駒田さんが唄って下さいました。
笑いも盛り沢山で、それぞれ勘吉役のはずなのに動画の中の駒田さんと宮川さんを(役者本人です)褒めちぎったりけなしたり(笑)
動画の中の彼らについて語っているのに本人なものだからだんだんキレてきてコーラス担当の畠中さんに怒られたりするw
歌に関して、スリル・ミーの時にも思ったけど男同士のハモリはなかなか良いサウンドだなぁと思う。
声質が近い同性の方がよりハーモニーが揃うのだね。
ちなみにこのライブは第三回で、第二回は2011年に行われている。
駒田さん、宮川さん、土居さんで・・・!
うう・・・駒田さんと土居さんのコラボなんて素晴らしい企画スルーしてた自分が憎らしい・・・
観たかったなぁ。
実は年が明けて1月11日に日比谷図書館で行われた演劇への入口講座「ミュージカルこそ我が人生!」を受講して来ました。
お話して下さるのは駒田一さんと、帝劇ミュージカルを50年支えてきたプロデューサー宮崎紀夫さん。
お二人の熱いミュージカルへの想いがビシビシ伝わってくるお話ばかり。
帝劇ミュージカル創成期である昭和38年の「マイ・フェア・レディ」日本初演初日の話を語りながら感極まって涙ぐむ宮崎氏にこちらも胸が熱くなり、たいへんな苦労と試行錯誤の上に今のミュージカル界があり、こんな方々に日本のミュージカルは牽引されて来たのだなと肝に銘じる。
何年経過しようとも色褪せない想いってあるのかもしれない。
そんな想いの前では時空って翔べるのかもしれない・・・。
駒田さんってばやっぱり話を上手に承けて盛り上げるの得意だなと思う。
そんなところも、素敵だと思いマス。
ちなみに講義の内容は dachoさん の忘備録にまとめられていたので貼っておきマス→コチラ
と思ったら公式からもレポが出てきたので追記します → コチラ
最後にエンジニアの駒田さん載せときます。「アメリカン・ドリーム」
2014.12.31 Wednesday
04:03
このコンサート情報は8月の最後に行った青山円形劇場での「twelve」で知りました。
「twelve」の公演情報は土居裕子さんのブログで。
一度足を運ぶと、そこから次に繋がってゆく。
人生何事もそういう風な仕組みになっている気がする。
ひらめくモノがあったら試してみた方がいい。そこから拡がっていくから。
今年になって再び舞台熱が高まるものの、怖かった。
ずっと心の中に大切にしまってあった土居さんが変わってしまっていないかどうか。
20数年前「オペラ座の怪人」をきっかけにミュージカルにハマっていったが、最初のうちこそ四季のラインナップを網羅していたものの、ある時から旧音楽座のファンに移行して自分が一番支持する団体となった。
旧音楽座作品は今思い返すとモロに時代を反映していたり、今の時代なら恥ずかしいような直球の内容が多かったと思うのだけど、音楽が好きだったのと日本産の作品という事に親近感というか安心感みたいなものを感じていた。
単純に看板を背負っていた土居裕子さんの魅力に吸い寄せられていただけかもしれないけど。
また今年舞台ファンとして帰り咲いたわたし。
恐る恐るずっと気になっていた人に会いに(観に)行った。
いや実際に足を運ぶ前にブログを覗きにいきどれだけ様子を伺ったことか(笑)
決定的だったのはこの歌。
わたしの想い続けている土居さんらしさがたっぷり表れている歌。
だって作詞・作曲は土居さんだしね^^
「せみ・ミーセ・せみの歌」
2014年12月23日(火) 19:00〜
会場 : 新宿ReNY
出演 : 土居裕子・上條恒彦
shiro/宮原芽映(Vo) 丹波博幸(G) 窪田晴男(G) 上原“ユカリ”裕(Per)
会場はライブハウスなので照明も暗めでアルコール有。
会場情報にはスタンディング800名、椅子300席とあったが、ゆとりを持って椅子が配置されているので200名いなかったと思う。
土居さんは最初赤と白の縁取りのドレス、赤いヒールの靴で現れる。美しい。
詞を読み上げ、クリスマス曲とバリハイ披露。
すぐにshiroさんの紹介になり土居さんは退場し、しばらくshiroさん曲が続く。
懐かしいような優しい曲。
早く土居さんの歌をもっと聴きたいと思うころ、カジュアルな緑の服に替わって再び登場する。
唱歌を中心に身体中に沁みわたるころ、お待ちかねの上條恒彦さん登場。
木枯し紋次郎の主題歌「誰かが風のなかで」でいきなりヤラれる(笑)
口からなんと自然に歌が紡がれるものなんだろうと、彼の口元が四次元ポケットのように思える。
マイクから大分離れているのに響く低音。
お二人のトークがまた(≧▽≦)
土居さん「小学生の頃TV観てました!」
上條さん「あなた若く見えるんだから、そういう事言わない方がいいんじゃない?」
土居さん「あー皆知ってるから大丈夫☆」
上條さん数曲歌って下さり退場する。
トークは赤い靴購入にまつわるお話も楽しくてくすくす笑ってしまった。
だって土居さん値段までハッキリ仰ってたし(笑)
さてここまででも胸いっぱいだったけど、そのあとが凄かった!
土居さんの本気炸裂!
ミーセの歌、わが町の歌、マザーテレサの歌・・・
ビリビリ土居さんの声が身体を貫いていく。
途中涙を流されていて。
魂の籠められた唄は、耳に音波として届くだけではなく、心と身体の芯を通り貫いていくのか。
気付けば、感動の余波でつま先まで痺れていた。
自分は本来コンサートとかよりもお話の中の唄う場面が好きだと思っていたけれど、歌のみでこんなにも感動して胸がいっぱいになって、居ても立ってもいられないくらいに掻き乱される事ってやっぱりあるのかと驚いている。
1週間以上経過しているにも関わらず、今でもエネルギーが出口を求めている。
アンコールでまた上條さんと一緒に、会場も一緒にビートルズの「Merry Christmas!」を唄い、最後は宇宙の映像と共に土居さんの「ふるさと」で終演。
終演後は事前にブログで告知があって凄く楽しみにしていた、ロビーで出演者の方々と一緒のクリスマスパーティ♪
会場はフード無しと書いてあったのだけど、土居さんからの差し入れとの事でピザやチキンなどがいっぱい(^O^)
その日購入したCDに名前入りのサインをいただき、一緒に写真にも入って戴きました。
宝物になりました。
どんなにお礼を言っても足りないくらい感謝しています。
素敵な時間と想い出をありがとうございます。
2014年が終わろうとしているのでちょっと1年を振り返ってみようと思い立ってみる。
思えば舞台からダイレクトに感動という名のエネルギーをもらって昂るものの、その感動をどこにぶつけて良いか分からない状態が原動力になり、長年憧れだったブロードウェイへ行くという夢が叶ったのがブログ立ち上げのきっかけだった。
たまに追いつかずに義務感に駆られる事もあるけれど、次に同じ作品を観た時に前回の自分がどう感じたかの引き出しになるのも面白いかもしれない。
もちろん、同じ作品を観た方々と語り合えたら嬉しい☆
ブログを立ち上げたのは9月中旬。
以下年初から作品名を並べてみる。
★印は感想綴ってあるのでリンク貼ります。
【生もの編】
1月 ミューザ・ジャズ・ナイト「グランドピアノ6連弾」
3月4月 ラブ・ネバー・ダイ × 2回
5月 レディ・ベス
ミュージカル・ミーツ・シンフォニー春
MMS前夜祭
7月8月 天才執事ジーヴス
ミス・サイゴン × 4回 ★
twelve
9月 BW PIPPIN ★
BW レ・ミゼラブル ★
BW キャバレー ★
BW オペラ座の怪人 × 2回
マシュー・ボーン「白鳥の湖」
10月 ミュージカル・ミーツ・シンフォニー秋
11月 “ENJOY THE SHOW!ヒットミュージカル〜親の顔が見てみたい”第16弾
SINGIN' IN THE RAIN 〜 雨に唄えば 〜 ★
スリル・ミー ★
マザー・テレサ 〜 愛のうた ★
モーツアルト! × 2回
アリス・イン・ワンダーランド
12月 ロンドン版 ショーシャンクの空に
大人音楽Night 『Triangle“ハートウォーム”Concert』 ★
メール音楽劇「未来ポスト」 ★
【映画館で観たもの編】
かぐや姫の物語
マレフィセント
アナと雪の女王
NTL フランケンシュタイン × 2回 A★ B★
NTL コリオレイナス ★
NTL オセロ
ビリー・エリオット ミュージカルライブ / リトル・ダンサー
こうやってまとめてみると、書いてないモノと、書くつもりのモノと、書くほど感想を言えないモノが整理されるわぁ(;・∀・)
今年もあと2日を残すのみだけど、連日UPを目指してみようかな?(笑)
NY旅行記の更新を放置したまま怒涛の観劇月間にハマり、ブログの更新も滞っておりました(;・∀・)
ブロードウェイでのオペラ座の感想とかもう忘れてしまいそうですが、ちょっと思い入れがあり過ぎる作品なので引っ張り出す作業自体が億劫になっていたりしますw
今回のお題目「スリル・ミー」は観劇に行くと配られるチラシの束の中に入っていて目に留まったのでした。
まったく予備知識無く、ただただ澄んだ蒼い世界。
反対側には男性が6人じっともの言いたげにこちらを見つめている写真。
キャッチコピーには「超濃密空間」「俳優2人とピアノ1台のみのミュージカル」とある。
「犯罪」や「血の契約書」などと言う文字も気になる。
この方向性はヤバい気がする。
危険な香り。
決してお気楽系じゃない、ハマる人はハマる系の・・・
そしてこの作品ではないけれど、そんな世界がある事を私は知っている。
どんな世界か確認してみたい。
これが動機で、間際になってポチっと追加で予定を組んだのでした。
2014年11月15日(土) 15:30〜
私:松下洸平 彼:小西遼生 ピアニスト:朴勝哲
予備知識はまったく入れずに天王洲銀河劇場へ。
しかし熱狂的なファンの方々が通い詰めている事だけは知っていたので、おずおずとお邪魔するような感覚。
一歩踏み入れるとやはり自分は異邦人な気がしたりして。
2階席には立ち見の方々もいらっしゃり、開演を待ちじっと舞台を見つめている。
なんてゆーか、緊迫した空気が流れていて、只ならぬ雰囲気に圧倒される。
黒一色の客席にぐっと張り出した舞台。
開幕のベルと共に密室に閉じ込められたような気分になり逃げだしたくなる。
2階部分にグランドピアノが置いてあり、まず最初にピアニストが登場する。
そのピアニストが鳴らす最初の音色に突かれる。
倍音が聞こえた。
たっぷりと伸ばした和音が世界を提示し、その音が会場の壁に跳ね返って共鳴する。
ピアニストが押している鍵盤がたたく弦以外の弦が共鳴して鳴っている音もはっきり聞こえた。
そうか。
大抵のミュージカルは電子ピアノだよな。
リサイタルでもない限りグランドピアノって無いかも。
凄く贅沢かも。
グランドピアノ以外の楽器が無いの正解だわ。
もうここで引き込まれてるし。
「私」である松下さんの現在の仮釈放審理委員会での陳述から始まる。
この部分、非常に辛気臭くオヤジっぽい(笑)
そして34年前に遡る。
俳優二人のやり取りが始まる。
裕福で頭脳明晰だが家庭に事情があり満たされない思いを抱える「彼」と、「彼」の愛を得たいがために彼の犯罪に手を貸す「私」が支配者と被支配者に見えて苦しい。
この物語の元になっている実際の事件が起きたのは1924年のシカゴ。
レオポルドとローブ事件
2人の関係性の変化と共犯者になっていく過程をピアノ演奏が実に巧みに表している。
パンフレットにピアノは伴奏ではなく共演者と書いてあったが正にそうだった。
この親密で閉じられた共依存関係の甘やかさには観る側の心理状態によって実に甘いエクスタシーになるのだろう。
確かにゾクゾクと迫るものがあるし甘やかさすら感じる。
わたしも以前ならどっぷりハマったのだろうと思う。
しかし今はこの関係性はBLだとかいう華やいだモノよりも、児童虐待だとか夫婦間のDVだとかの「支配する者」と「支配される者」の心理状態であり、それは世界を狭め己を滅ぼすモノだと知っているので踏みとどまる。
甘やかさには身を委ねない。
また「超人」だなどと驕り高ぶり世間を見下す「彼」にムカついてしょうがない。
見下さずには自尊心を保てなかったのだろうけど。
それだけ精神的に追い詰められた状態にあったのだろうけど。
それでも児童福祉に興味を持って勉強し始め、出来るだけ弱い者の方に寄り添いたいと思うようになってから、わたしは2人の関係性よりも殺された子どもの方に気持ちがいくような目線になってしまったらしい。
会場中息を飲んで身じろぎもしない。
ノーチェックだったわたしは途中から「あ、休憩ないのか」と余計に逃げられない感を感じた。
メロディには癖になるような良さがあった。
このミュージカルについて観た事以外にも情報が欲しくなりパンフも購入してしまう。
主演の2人はずっと出ずっぱりで大変だろうけど、緊迫感を維持し続けていた。
同じ組み合わせでもちょっとした間の取り方などで印象が全然変わるんだろうなと思うと何回も観て確認したくなる。
組み合わせ違いはどうなのかと確認したくなる。
ああ、リピートする人々の気持ちが痛いほどよく分かる。
次回があるならわたしもきっとまた行くだろう。
ひとつ言えるのはデュエットは男女よりも男男のが声質が近かったりして良いものかもしれない。
最後のどんでん返しは意外だったが、あり得るなと妙に納得。
してやったり感ハンパない。
しかし「私」も彼以外見えていなくてやっぱり同じ穴の狢だ。
どうしてこうも視野が狭くなってしまうのか。
いやそれは皆そんなもんなのか。
共依存と言って切り捨ててしまえばそれまでだけど、やはりそれが愛なのか。
愛とは崇高で純粋なものだけを呼ぶわけではないのか。
けっきょくわたしも未熟で分からない。
さて終演後フォロワーさんと会いお話しするなか、事前に役者さんたちがファンサービスしてくれるような事を仄めかしていたと聞き、何となく流れで並んで、彼女のお勧め松下洸平さんと握手する機会を得てしまった。
並んでいる間、見知らぬ隣の方ともお話し、サインペンまでお借りしてしまう。
ずっと通い詰めている彼女たちでさえ初めてだというのに申し訳ない。
松下さんはスラっとスマートで顔が小さく、舞台の上のあか抜けない「私」とは全然違い光源氏のようだった。
お肌も艶々で一人ひとりじっと目を見て激励を受け、握手し、サインしていた。
こういった大役を得られる人というのは、華があり真摯に取り組む人だからなれるんだなーなどと思うのであった。
2014.12.11 Thursday
03:40
少し経ってしまいましたが、土居さんのブログでこの公演を知りまして観に行って参りました☆
それが9月頃でしたか、ブログ内では「マザーやる事になった」とだけ。
ぴあ や e+で検索かけても出て来ないしw
どこがやってて、正式名称はどんな舞台なのよ〜
・・・とつぶやいていたら教えて下さる方がいまして、命拾いしたであります(笑)
土居さんとマザー。
どちらもわたしには特別なお方です。
何て言う組み合わせ。
これ以上マッチするモノってないんじゃないかと戦慄を覚えまして即決でした。
しかしどちらも敬愛するお方なので変な演出はしないでおくれよ、と言う変な不安や緊張感もあった事は確かです。
でも。
キリストも作品になっているし → ジーザス・クライスト・スーパースター
ブッダも作品になってるし → あ、これもミュージカル座作品だった!
マザーが今までミュージカルになってなかったのが不思議なくらい?(映画にはなってる)
マザーの生き方はあらゆる形で語り継ぐ方が良いに決まってる。
そんな気持ちを抱えて北千住に向かったのでした☆
2014年11月20日(木) 13:00
マザー・テレサ → 土居裕子
新聞記者・ペリエ大司教 → 光枝明彦
父・エグゼム神父 → tekkan
フランシスコ・ゴメス氏 → 阿部よしつぐ
会場はシアター1010の1階下の階にあるミニシアター。
20席 × 5〜6列で150人入らないハコ。
すぐ目の前が舞台。手が届きそう。
こういう小さめの場所は大劇場のスペクタクルとは違い、役者さんたちの表情や息遣いまで伝わってくる。
8月に円形劇場で行われた「Twelve」より小さい手頃なサイズ → これも土居さんご出演♪
舞台もそう広くはないのでセットなどは無い。
楽器は電子ピアノ、ヴァイオリン、アコースティックギターがセンターに陣取る。
しかし楽器にはコードが繋がれていて横のスピーカーから大音量で聞こえるので、目の前に楽器があるのに音は横から聴こえてくるという変な感覚。
声はさすがに前から聴こえていた。(横からも聴こえたけど)
物語はマザーという修道名をもらう前の、アグネスの子ども時代から始まる。
最初に影響を受けたのは母からの教え。
「良い行いをする時は誰にも知られないように、海に石を投げるようにおやりなさい」
そしてある本との出会い。小さき花のテレーズ。
「小さな犠牲を微笑みをもって耐え忍ぶこと」
テレサはこのテレーズから影響を受けて修道名にもらった。
土居さんは教師とか聖人のような役柄ってぴったりハマるんだけど、ハマり過ぎてしまうとつまらない。
でもね、今回のこの作品では、あの茶目っ気たっぷりの可愛い土居さんを観ることが出来た。
凄く嬉しい。わたしが一番観たい土居さんだったから。
このマザーの子ども時代を目をキラキラさせて演じていた。
そしてマザーって実はずっとそういう茶目っ気を持ち続けた人なのだよね。
偉業ばかりが遺されて、彼女の人間的魅力を忘れてしまってはいけなかったと思い出した。
どんなピンチも機転を利かし切り抜けた人だし、人々の親切な申し出に遠慮なんてせず「どう生かすか」アイディアの宝庫だった人。
ちゃっかりしているところもあるけれど、それはすべて一番弱い人々のため。
きっと彼女のようにカリスマがあって頭の良い人は会社経営しても成功しただろうなと思う。
でもその素晴らしい力が、すべて一番弱い人々に向けられていたことに胸がいっぱいになる。
マザーの残した言葉、ハグする映像にどれだけわたしも救われただろう。
伝説の偉人にせず、時間を巻き戻して生きて葛藤するマザーを生き生きと土居さんが演じ、お話は絵本のページをめくるように音楽で語り繋いだのが功を成していたと思う。
そしてマザーの活動はどんどん拡がってゆく。
年齢を経ていく様を、またもや土居さんがあまりにも自然に演じていて・・・!
でもやはり茶目っ気は忘れない。
土居さんにマザーが舞い降りていた。
凄く、良いモノをみせてもらった。
ラスト、マザーが天に召されたあとだったか、後ろから出て来た土居さんがセンターのピアノを弾くのだが、わたしにはマドモアゼル・モーツアルトが彷彿とさせられ、別の意味で胸いっぱい。
チャーミングでボーイッシュでいたずらっ子な土居さんが大好き。
マザー演じる土居さんはほぼ出ずっぱりで、歌も唄いっぱなし。台詞もある。
曲調は半音や不協和音をたくさん用いた、ゴスペルっぽいところもある、唄うには難しそうな曲調だったかな?
物語には自然にマッチしていたと思う。
こんなに近くで、こんなに土居さんの歌を堪能できるなんて幸せ。
しかし幸運はこれで終わらなかった。
終演後に凄いことが!
出口を出たところに土居さんご本人がいらっしゃる Σ(・ω・ノ)ノ!
「うごーーー!!!」と心の中で叫びながら狼狽えるw
これだから 小 劇 場 ってば!!!
超キョドりながら20年来のファンであると告げ、しかもいらん事までのたまう始末w
む、むかしキャラメルを渡した事があるとか ><
横に居た女性の方(マネージャーさん?)が笑顔で「良かったのに」と。
土居さんも「ひとしずくに大きな心がこもってる」とマザーの台詞を引用してくださり。
握手 (ノД`)・゜・。
ごめんなさい、ごめんなさい、こちらはずっとずっと心の一番大切なところに居る人で身近に感じているけど、先方からしてみたら1ファンに過ぎないのに。
次回からは普通に挨拶と激励に留めておきたい。
さて軌道修正いたしまして、この「マザー・テレサ愛のうた」は2015年2月にまた再演されます。
次回は土居さん・光枝さんではなく、伊東えりさん・岸田敏誌さん主演です。
案内はコチラ。
会場も1階上に上がり規模が大きくなるので演出もだいぶ変わるかのかも。
この再演は初演の段階でもう日程のみ決定していたようなのですが、会場で告知などは無く・・・
もっと宣伝すればいいのにと思った次第。
良い公演ならリピート客いると思いますよ?
2014.11.15 Saturday
04:23
行って来ました! SINGIN' IN THE RAIN〜 雨に唄えば 〜
映画で名作中の名作なこの作品、高校の時に演劇部の仲間たちと視聴覚教室などで観たのが最初だったのか、それともその前か。
ミュージカルファン自認するずっと前から好きでした。
もう第一報で即決。
しかも、シアターオーブに12,000リットルの雨が実際に降る?!
その仕組みについてはテレビでも紹介されていましたが、よくもまあ準備も始末も大変そうな、でもとっても楽しい企画を思いついてくれたもんです。
舞台の床の下にブルーシート敷いてるって説明してたけど、機械類の漏電とか大丈夫なもんなのね。
ちなみに公式さんのところを覗いたら画像や動画がたっぷり!
カーテンコールは撮影OKだしテレビ露出も多いし、good jobです👍
2014年11月10日(月) 18時30分〜
今回は深く感じるというより、とにかく楽しんで観てしまったのでそれほど語るような事は無いってのが本音ですけど、まずはところどころのお衣裳が映画を彷彿とさせられるものだったので、そこに大喜び。
主役のドン演じるアダム・クーパーさんは映画のジーン・ケリー様とは全然違う印象なのだが、キャシーもコズモもリナも映画からそのまま抜け出て来たようにイメージぴったり。
冒頭のドンの回想が始まってすぐ旅芸人時代のコンビダンスは映画でも好きだったけど舞台だから一部始終しっかり観れちゃった感あり、キャシーがシャンパンタワーから出てくるところ(映画ではケーキだったような気がするけど)のシーンのダンスはキレッキレで、キャシーは声(歌)ばかりでなくダンスも最高だった。
親友のコズモがホントいいやつで。
何でも出来ちゃう器用な人で、大スターになったドンから離れずに協力してくれていて、横で熱々なバカップルがいても尊重して接する事の出来るデリカシーあるやつで・・・
リアクションが可愛くて可愛くて、笑ってしまうし、大好きになってしまった♪
早口言葉のシーンは映画ではデクスター(言語指導士?)をドンとコズモでいじって遊ぶのが楽しいのだが、舞台では三人とも見事に踊る。
この作品のこういう軽快な運びがとっても好き。
常々日本の観客はマナーが良いけど大人しく静かに観るので盛り上がりがイマイチ・・・なんて言われたりするけど、物語が進行するに連れてどんどん笑いも大きくなっていくし「good morning!」では拍手喝采で拍手が鳴りやむのを待ってしばし進行がストップするほどだった。
アダムが、ありがとう分かったからねという風にお茶目に「しー」とやる。
ああ、あまりの素晴らしさにわたしも胸がいっぱいで掌が痛くなるほど拍手を送ったけど、この会場のみんなも同じ気持ちなんだなーと嬉しくなる。
そして一幕最後の表題曲「singin' in the rain」
いよいよだ!と思うと感極まってしまって涙が溢れそうになるのだが、いかんいかん、涙で視界が曇ってしまっては一番の見所を目に焼き付けられないじゃないかとカツを入れる。
正にザーザー降りの雨。
通行人が時折傘を差しながら、びしょ濡れになって唄い踊るドンにあっ気に取られながらもそそくさと通り過ぎて行く。
この高揚した気持ちの盛り上がり、雨に打たれる事も厭わずに、恥も外聞も無く唄い踊るさまの自由さにどれだけ憧れたろう。
次々降り注ぐ雨に照明がきらめき、舞台上が少し溝になっているのでアダムのステップと共にバシャンバシャンと水飛沫をあげる。
濡れながらよくも軽やかに、足元も悪いはずなのに滑りもせずアダム様は踊る。
宣伝通り客席にもわざと水飛沫をかける。
かける前に「行くよー」とばかりにニヤリと笑うのがまた可愛い。
映画のジーン・ケリーは自分自身の世界に酔いしれるところが良かったが、この水飛沫を客席にかけるという行為により客席と双方向で楽しむシーンになっていたように思う。
元々が底抜けに明るいミュージカルなのだが、コミカルに描かれるサイレントからトーキーに移り変わる時代の苦労は本当に大変だったのだろうと推察される。
マイクをどこに置くかで音の拾い方が異なる・・・とか笑い話で描かれているけど(実際大笑いさせてもらったが)、今ほどサイズも小さくないだろうしマイクの性能も悪かっただろう。
実験に実験を重ね、試行錯誤の繰り返しの果てにいまの映画界だけでなくエンターテイメントが在るのだろうな、などと想いを馳せ、それこそがクリエイティブなるモノなんじゃないかと思う。
きっとそんな中で廃れていったモノもあるのだろう。
さて二幕はダンスナンバー揃いで物語の込み入った事情はほぼ一幕で形作られている。
さすが舞台だけあって画面とは違う奥行きのある空間で楽しませてもらう。
キャシーが吹き替えをするのが自己申告だと言うところや、スタッフ陣が彼女を使い捨てようとせずにキャリアをちゃんと考えているところが救いである。
本来ならば汚い部分もあったろうに、この作品ったらこういうところが気楽で明るいのである。
唯一リナはキャシーを利用しようとするが、リナの立場としてはまっとうな反応をしただけなのに鬼婆のように扱われて少し可哀想。
ラスト吹き替えがバレて逃げるところで退陣しているが、契約書などで上を黙らせたほどの彼女があっさりと引き下がるものだろうか。
まあそこも敢えて描かれないのがこの作品。
雨は一幕で終わりかなーと思っていたのにカーテンコールでまた見事に降り、今度は色とりどりの傘を持った群舞で本当に美しく、サービスたっぷりだった。
色んな意味で満足感たっぷり。
シアターオーブとそのスポンサーさん方は続々来日公演を誘致してくれているので、来年も楽しみがいっぱいあって嬉しい。
本当に感謝する。
先週に引き続き観て来ました〜☆
今回はBバージョンです。
Aバージョンは前回こちらにまとめました。
今回は前回の感想に付け足す感じでまとめたつもりです。
2014年11月9日(日) 18:45〜
ヴィクター・フランケンシュタイン博士:ジョニー・リー・ミラー
クリーチャー(被造物):ベネディクト・カンバーバッチ
まず舞台設定がイギリスになる時に出て来る蒸気機関車の改造版みたいなものは、産業革命の機運を表しているのかなと思っていたので確認のため調べてみるとメアリー・シェリーによる出版が1818年で、産業革命は1760年〜1830年とあるので、これはそう考えていいのかなと思う。
クリーチャーが地動説を「当たり前だ」と言い観客の笑いを誘うシーンについても調べてみた。
古くはルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチやプラトンが「地球は動いている」と考えていたようだが、学説としてはコペルニクスが迫害を恐れ死の直前の1543年に著書で最初に検証し、ガリレオは地動説を唱えたために迫害を受けたまま1642年に亡くなり、やっとローマ教皇庁が1992年に地動説を承認したのだから確かに最新鋭の科学的思考を持った怪物・・・と考えると笑える。
Wikipediaのフランケンシュタインについて眺めていたら興味深い箇所があった。
フランケンシュタイン・コンプレックス →
創造主(キリスト教の“神”)に成り代わって人造人間やロボットといった被造物(=生命)を創造することへのあこがれと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のこと。
そしてそこからロボット工学三原則が生まれたそうだ → 人間への安全性、命令への服従、自己防衛を目的とする3つの原則。
じゃあ「ターミネーター」などの着想の元になっているのはこの「フランケンシュタイン」だったりするのね〜なんて考えると面白い。
無数の裸電球に関して。
よくよく注意して見ると女性体を造ろうと決意を固めるヴィクター博士の上でも光っているので、興奮や閃きのようなモノにも反応していて、そしてやっぱり神の怒りはぼんやりと感じる。
それはわたしの中のどこかに生命を操る事への不安があるからかもしれない。
そういえば冒頭で監督が「科学の視点から見た創造主と人間、自然、愛について表現したかった」と教えてくれていた。(ちょっとウロ覚えで自信無い…間違っていないかな?)
ヴィクター博士は試すように「愛とは何か」をクリーチャーに問いただすが、クリーチャーは迷うことなく自分の中の愛について語っていた。
ずっと模倣を繰り返し、見た事体験した事を中心に成長したクリーチャーがいつ愛を知ったのかについて、今回分かった。彼は盲目の老教授の息子のお嫁さんに恋していたんだね。そうか。だからこっそり畑仕事や雑事も手伝ったし、拒絶された時の哀しみが絶大だったんだ。
盲目の老教授の台詞で前回押さえそびれた印象深い台詞、今回は覚えておいた。
「お前にも愛される権利がある。いつか愛する者が現れるだろう。」
なんて素敵な人なんだろう。
ああ、なんとか殺さずに仲を修復する手立てはなかったのか・・・
そしてジュネーヴで博士と再会した時の押さえそびれた箇所は、上述の「フランケンシュタイン・コンプレックス」「ロボット工学三原則」を背負ったやり取りだったようだ。
自分で造っておいて何様?って思うけど、暴走したロボットと考えると支配下に置いておかねばならないような気もするし・・・クリーチャーを自尊心のある人と思うか暴走した怪物と思うかで変わって来るところかもしれない。
北極点問題もヒントになる事を言ってくれていたのに気付く。
磁石の科学を解明するためにクリーチャーが北極点を目指していて、それを追う博士は途中で犬に死なれたりして瀕死状態・・・ってカンジなのかな?
2回目を観て一番切ないと思ったのは、クリーチャーには名前が無いということ。
名前を与えられるという事は、命を与えられるという事と同義だと思うので、これは本当に切ない。
博士には母性も父性も無かったのかなぁ・・・
役者さんの感想です。
ジョニーのクリーチャーは赤ちゃんのように可愛かった。
情動に突き動かされて動いているように見えるので、精神的にも未成熟で発達段階であるように見えた。
特にエリザベスに対しては性欲の衝動があったような。← このけもの!
バッチさんのクリーチャーはもう少し理性的に見えた。
知的好奇心旺盛で純粋に学びたがっているように見えた。その分けもの度が低いというか(笑)
エリザベスに対して本当に申し訳なさそうだった。← だったら止めて欲しかったw
ジョニーの博士は本当に「愛」を理解出来ないヤツに見えた。
何故だろう、彼の方が愛嬌があって物腰柔らかいのに。
バッチさんの博士はエリザベスに問いただされたり迫られたりする度に動揺が見えて人間らしかった。
彼自身はSHERLOCK役でのイメージなのかクールな印象があるのに。
上流階級の装束はぴったりハマる人だよなぁって思う。← 萌え
どちらも素晴らしい演技をされていて衝撃だった。
喋り方から身体の動かし方まで研究され尽くしていて、これが役者かと頭が下がる。
この作品に出合えたことを幸運だったと思う。
2014.11.08 Saturday
00:45
観て来ました、ナショナル・シアター・ライヴ「フランケンシュタイン」!
これを知ったのはホンの偶然、Twitterのタイムラインを眺めていた時でした。
なんと言うか私なんかよりずっとずっと情報通な方が情報流して下さるんですよね、有難いことに。
「SHERLOCK」でカンバーバッチさんのファンでしたから飛びつきましたですよ。
以前「ハムレット」を来夏やるという情報GETした時には、そんな先の予定分からないし、そもそも英語出来ないのにストレートプレイなんて・・・という及び腰でした。(ミュージカルならまだ、歌やダンスで楽しめるでしょ)
ですが。
今回は日本ですし、各地映画館上映ですし、字幕ありなんですよー!!
こんなラッキーな事ってありますか?
しかも、私が知らなかっただけで今回はアンコール上映だったみたいです。
さて。
バッチさんが出ているという理由だけで飛びついたワケですが、物凄く濃い内容で考えさせられる作品でした。
観た日の帰り道からずっとぐるぐる脳内を思考が駆け巡ります。
観たと仰っている色んな方のブログにもお邪魔させていただきました。
そんな風に誰かと語りたくなるような作品でした。
今週末にまた役交替Verを観に行くので、きっとまた新たな疑問や印象の違いが出て来るだろうと思いますが、ひとまずファーストインパクトを綴ってみようかと思います。
2014年11月2日(日) 14:10〜
ヴィクター・フランケンシュタイン博士:ベネディクト・カンバーバッチ
クリーチャー(被造物):ジョニー・リー・ミラー
この作品思い起こしてみれば児童文学書で読んだ事があり、フランケンシュタインとは今やキャラとなった怪物ではなく、造り出した博士の方の名前である事、怪物が伴侶を求めるようになる事は知っていた。
ちなみに異形の者を描く作品として私は「エレファントマン」「オペラ座の怪人」「ノートルダムの鐘」が思い浮かぶ。
どの作品も醜い外見に苦しみ、悲哀に満ち、本来純粋な心を持っているというのが鉄板である。
最初のシーン。
温かい子宮のようなところから、それは生まれた。
生命が宿る瞬間にはビッグ・バンのような物凄いエネルギーが漲るのだろうか。
自由にならない肉体にもがく。
このシーンは圧巻で瞬く間に引き込まれるし、役者にとっては見せ場なのだろう。
腰巻のみの身体・・・役者の伸びやかな四肢や美しい筋肉を備えた肉体に目を奪われる。
少しづつ回線が繋がっていくのか、徐々に立ち上がろうとしている。
人は生まれたら立ち上がろうとする。それは本能なのか。
要所要所で天井の無数の裸電球がボウっと灯る。
わたしには初め雷のようにも見えたので、神の怒りに触れた気配か奇跡が起きる時の予感のようなものを感じる。
しかし他の方の感想など見るうち確かに神経回路のシナプスが繋がっていく様を表しているのかもしれないと思った。それは前述のイメージとイコール(=)で考えても良さそうな感じ。
一通りシーンが終わる頃ヴィクター博士が出て来て造り出した物の醜さに驚いて逃げる。
ここがまず第一の疑問。
造り出したはずの人間は先ほどのシーンには立ち会っていないのだ。
それは、たとえ顕微授精を人の手でやったとしても、細胞分裂は細胞自身がするしかないし「造る」といっても道筋をつけるところまでしか着手出来ないという事と同じなのだろうか。
どんな個体も何かから発生するが、うまれてからは命はその個体に委ねられるという事の暗示なのだろうか。
あまりに醜悪な容貌であるためクリチャーは人々から蔑まれる。
しかし世知辛さをここで学んではいるものの、まず先に立つのは空腹を満たすという事。
そして空腹が満たされた後にはこの世の美しさを体感する。
赤ん坊もそうかもしれない。
そうか。
なんの障害も無ければ生まれた事は慶びであり、それはこの世の美しさと並ぶものなのかもしれない。
「いのち」そのものが美しいのかもしれない。
ここでは舞台に雨が降り、光が差し込み、緑が生き生きとする様が舞台に再現される。
このことに泣けた。感動である。
この雨に始まり、雪が降り、火の粉が散り、火柱が上がる。
舞台でここまで再現可能なのかと驚き、空間の使い方も工夫が凝らされていて見応えがあった。
まだこの段階では野生の獣でしかないクリーチャーだったが、ある農家に迷い込み盲目の老人から3年に渡り知識を得る。
何も分からないクリーチャーに文字と言葉を教え、人になっていく過程。
かつて教授だったというその老人の見識の深さにしびれ、和む。
老人はあたたかく、私は作品中大好きなシーンであった。
実は引っ掛かりのある会話が次々なされるのだが、いかんせん記憶力の問題で思い出せない。
もう一度観るので注意しておきたいところ。
そしてまた、文字で追ってみたい箇所でもある。
そんなほっこりした時間も終わる。
それまで生まれたてのピュアなクリーチャーに気持ちが寄っていたが、恩人である老人の家を燃やした時に最初の戦慄を覚える。
確かに人間は彼を蔑んだり理解しなかったけど。。。
子どもが持つ純粋さには残忍さのようなものを包み隠さない部分も内包していると思うのだが、クリーチャーもそうなのだろうか。
切ない。
続いてジュネーヴでヴィクター博士との再会。
ここでも博士の弟を殺してしまうクリーチャー。もう止めて欲しい。
そしてまた興味深い会話がなされるが、次回ここも要チェック。
ただし印象に残る部分としては、博士がクリーチャーに「お前は奴隷なのだ」と言い放った部分。
生まれながらにして奴隷だなんてあるか。
ちゃんと心が、自尊心があるのに。
それならば何故放置した。
使いこなさねば主人とは言えないだろう。
作品・・・それも人知を超えた最高傑作だったのでは無いわけ?
などと悶々としているうちにヴィクター博士もそう思い出したようで(笑)態度が変わってくる。
確かにもう存在しているのだから、仲間も無く誰にも理解されないまま独りは酷い。
伴侶を求めるのは自然な流れだと思う。
博士よりずっとクリーチャーのが触れ合いを求めているし、人の心に近いように感じる。
そして、一度可能にしたのなら、再生産も可能なんだろう。
でも。
またしても生まれてくる彼女に選択肢が無いだろうと思う。
最初から伴侶になる運命のために造り出される彼女の想いは?
博士がちゃんと彼女に拒否された場合どうするかなど聞くやり取りがあったが、クリーチャーが女を意思のある存在として認めておらず、所有物のような概念で押し問答しているのがモヤモヤした。
博士は人を愛さなくても尊重する事は知っているのだろうか。
博士はまたしても欲望に負け禁忌の研究に着手してしまう。
このあたり研究者なのだなと妙に納得してしまう。
知的好奇心に勝てずに易々と人の倫理の壁を乗り越えてしまう。
しかし婚約者エリザベスの言葉にわたしが愕然とする。
「新しい命を造り出したいならもっと早く夫婦になれば良かったのよ」
人は奇跡を起こすことが出来たんだよ。
すっかり忘れていた。
それでいいんだよ。
こんな歪で孤独な個体をわざわざ造り出さなくても、出来たのに。
ねぇ博士、そう言われてどう思ったのよ、と問い正したい(笑)
遂に新しい女性体が完成しそうなのだが、わぁい、またもや腰巻のみの美しい裸体♪
胸を隠しもせず登場するのね。さすが。
これだけ美しかったら彼女はクリーチャーのように人から蔑まれずに、どこへでも行ってしまわないのかしらとわたしが不安になる。
ここでも彼女を愛せると言うクリーチャーにあなたはいつの間にかちゃんと愛を知っていたのね、とも思うし、そんな所有物のような愛はごめんだとも思う。
あなたは良くても彼女は?
しかし博士はこれに命は吹き込まずに破壊。
最後のギリギリの判断は正しいような気がする。
ねぇ死体から造り出された彼らに生殖能力まであるの?
そう言えば醜い割に強靭な肉体だった。長距離を徒歩移動するし寒さも堪えない。
生まれてくる子どもは醜いの?
そもそも遺体の元の持ち主の魂は成仏して肉体から切り離されているの?
生きていた頃の記憶が甦ったという様な描写は無かった。
西洋では日本人みたいに御遺体そのものに思い入れはないからなの?
彼女を破壊されたクリーチャーは「嘘をつくこと」を覚え復讐にやって来る。
婚約者エリザベスはクリーチャーを尊重し対等に扱ったのに、犯され殺される。
行き場の無い憤り。
大体ヴィクター博士からして女に研究内容なんて分かるワケ無いって態度だったし。
彼女は教養深く無いかもしれないけど、真心があるし真実を見ているよ。
ああなんだって被造物の怒りや哀しみをぶつけられるのが女性じゃなきゃいけないんだ。
そしてまた別の不安を感じる。
まさか婚約者のエリザベスが被造物の子を身籠ってしまったりしないだろうね。
しかしあっさりと彼女は亡くなる。
ここでの死は情けだったのだろうか。。。
ラストいきなり北極点に向かう博士とクリーチャー。
面食らう。
え・・・と何故そんな場所まで来ちゃったの?
北極に用事なんてあったっけ?
「地球の頂点を目指していたからじゃないか」と仰る方がいました。
Wikipediaによると、原作では北極探検隊が行き倒れたヴィクター博士を見付けたところから話が始まっているとある。
息絶えたかと思われる創造主である博士に泣きつく被造物。
これまで造った者と造られた者という関係で繋がっていたものね。
愛されずに誕生させられた者。
そう、彼女なんかよりも造り出した創造主が愛すべきだったのだ。
神に愛を乞う人間がクリーチャーなのだろうか?
創造主が息絶えるなら共に・・・消えようとは思わないらしく、生き抜くと宣言する被造物。
これが主題なのだろうか。
いのちは生まれた以上生きるもの、という事なのだろうか?
それは、「生まれたくて生まれたわけじゃない」と言うよりシンプルだ。
監督の死生観なのだろうか。
けっきょく博士もクリーチャーも死なず、舞台の奥に向かい、どこまでも追っていくというラスト。
力強いと思ったし、後味が悪いモノでは無かった。
2014.10.30 Thursday
01:53
category:
NY旅行 | by:
みきこ@神奈川 |
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